人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

明智光秀は何歳?

このエントリーをはてなブックマークに追加

2020/01/14 15:45

(photo by camel-and-monkey/Adobe stock)

明智光秀は、そのルーツが不明なだけではない。生年についても複数の説がある。最も一般的なのは、『明智軍記』などにみえる享禄元年(1528)生まれという説。これだと、信長より6歳年上となる。かつては、信長よりも6歳若い天文9年(1540)生まれという説もあった。

ところが、近年は、さらに12歳年上の永正13年(1516)生まれという説も出てきている。どうしてこれほど違いがあるかというと、光秀は「子年」生まれとされており、各説の間にはどうしても12年間もの異なりが生じてしまうのだ。

この新説に従うと信長より18歳も年上で、本能寺の変の際には67歳(数え年)。当時としてはかなりの老人である。このことを踏まえた岩井三四二の小説「光秀曜変」では、謀反の理由を光秀の認知症によるものという、大胆な展開で描いている。

「麒麟がくる」がどの説に従っているかは発表されていない。あらすじなどを見る限り享禄元年(1528)生まれになっているようにみえるが、はっきりとは書かれていない。不明の多い人物を主人公にした大河ドラマは、「どの説に従って物語が展開されているか」を確認するのも1つの楽しみ方だ。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ