日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2019/11/11 14:01
JR姫路駅の北側にある山陽姫路駅から、山陽電鉄を4駅乗ったところに妻鹿(めが)駅がある。このガイドブックにも乗らない小さな駅で降りてみた。ここは、兵庫県独特の名字である「妻鹿」さんのルーツの地だ。
「めが」と読む名字はほかにも「女鹿」や「目賀」などがあり、岩手県に集中している「女鹿」が岩手県内の地名をルーツとしているのに対し、兵庫県に集中している「妻鹿」は姫路市飾磨区妻鹿がルーツである。
妻鹿駅で降りると、すぐ北側の市川沿いに甲山が見える。この山にあったのが国府山城(こうやま、功山城)で、妻鹿城ともいい、その麓に妻鹿城跡の碑が建っていた。妻鹿城は、天正8年(1580)に別所氏を滅ぼして三木城に拠った豊臣秀吉に対し、黒田官兵衛が居城であった姫路城を秀吉に譲り、自らはこの城に移り住んだことで知られる。
しかし、妻鹿城自体はもっと古く、『太平記』に登場する播磨国の住人妻鹿孫三郎長宗が築いたと伝える。長宗は赤松円心に従って元弘の乱の六波羅攻めに功をあげて妻鹿村を領したという。妻鹿という名字は今でも姫路市に多く、この妻鹿一族の末裔だろう。
なお、妻鹿は中世には「目賀」とも書かれたことから、岡山県和気町に集中している「目賀」もルーツは同じで、妻鹿から和気に移り住んだと考えられる。