日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2019/11/05 10:35
前回紹介した芥田家は、鋳物師とはいうものの、姫路を代表する名家であった。そのルーツは播磨国飾磨郡芥田(兵庫県加西市)で、清和源氏新田氏の庶流という芥田城主世良田氏の一族と伝える。世良田氏は徳川家康がその先祖としている氏族である。
南北朝時代に新田義貞に従って播磨に入り、芥田村に住んで芥田氏を称した。なお、村名は「けた」で、芥田氏も当初は「けた」を称していた。
戦国初期には赤松氏に属して武将として活躍したが、戦国時代に同郡野里村(姫路市野里)の鋳物師の棟梁となって鋳物市場を独占。家久は将軍足利義輝のお声がかりで「芥田」の読みを「けた」から「あくた」に変えたという。以後、小寺氏を経て、豊臣秀吉に仕えた。
芥田氏は鋳物師として大きな事件にかかわっている。それが、慶長19年(1614)の豊臣秀頼の命による京都方広寺大仏殿の梵鐘の鍛造だ。この鋳造に芥田五郎右衛門は脇棟梁として参加、そこに刻まれた「国家安康」の文字をきっかけに大坂の陣が勃発した。
その結果豊臣家は滅んだが、芥田家に類が及ぶことはなく、江戸時代は代々五郎右衛門を称して播磨国の梵鐘の鋳造を独占、姫路町の大年寄もつとめるという名家となっている。