日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2019/07/22 13:04
21日に投開票された参議院議員選挙で注目していた候補者がいた。それは、静岡選挙区に立憲民主党から立候補していた政治評論家の徳川家広氏である。
徳川家は、もともとは将軍家の他には、分家の尾張・紀伊・水戸の御三家のみであった。8代将軍吉宗の時代に一橋家・田安家・清水家の御三卿が創設されたが、それでも7家しかなかった。というのも、江戸時代は分家すると名字は松平になったからだ。しかし、明治以降は「徳川」の名字のまま次々と分家したことから、現在は徳川と名乗る人は意外と多い。
今回立候補した家広氏は徳川本家、いわゆる将軍家の直系にあたる。最後の将軍である15代慶喜は大政奉還で将軍職を退くと、家督を自らの子どもではなく、田安家当主の家達に譲った。従って、慶喜の直系の子孫と、将軍家の直系の子孫は異なっている。
徳川宗家の家督をついだ家達は、宗家16代目当主として公爵となり、貴族院議長をつとめた他、大正3年には組閣の大命も受けている(辞退)。
その子で最後の貴族院議長をつとめた17代目家正は、長男が早世して後継ぎがいなかった。そこで会津藩主松平容保の孫にあたる一郎と結婚していた長女の二男恒孝を養子として迎え、18代目を継がせた。
今回立候補した家広氏はその長男で、徳川宗家の19代目ということになる。徳川宗家は貴族院の消滅後は政治の舞台に立ったことがなかったため当落に注目していたが、残念ながら次点で落選した。