日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2018/12/11 11:35
NHK「日本人のおなまえっ!」の京都スペシャルは3週連続だったが、本稿は4週連続に。勧修寺のある山科の小野駅から京都市営地下鉄でさらに南下、石田駅で降りてバスに乗り換えて10分ほど行ったところに日野の里がある。京都から公共交通機関を乗り継いでもかなりの時間がかかり、平安時代には天皇や公家が狩猟をする場所であった。
11世紀中頃、この地に藤原一族の資業が法界寺薬師堂(日野薬師)を建立、子孫はこれに因んで日野家と称した。公家の多くが平安京内の通りの名か、山荘のあった寺などを家名としたのに対し、これ程遠くの地名を名乗ったのは珍しい。
資業は、公家の多くを輩出した藤原冬嗣の流れ(関白基経の子孫)ではなく、冬嗣の兄真夏の子孫。一般には藤原北家真夏流といわれ、公家としてはかなり傍流に位置していることが影響しているのかもしれない。
鎌倉末期、後醍醐天皇の側近だった日野資朝は、討幕を計画して失敗し佐渡で斬られたが、室町時代には足利将軍家と縁戚関係を結んで有力公家となった。なかでも、足利義政の妻日野富子は有名だ。
その他、浄土真宗の祖親鸞上人も日野家の出で、日野の里には親鸞上人生誕の地もある。