人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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ガイドブックに載らない京都(3) 山科の勧修寺

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2018/12/03 10:06

桃山伏見城の北側一帯が小野小町伝説に登場する深草少将で知られる深草地区で、そこから一山越したところが山科の勧修寺地区である。現在の山科は住宅地だが、平安時代には貴族達が山荘を設ける都の郊外だった。

電車で勧修寺に行くには、京都市営地下鉄東西線の小野駅が近い。小野駅から西に200mほど歩いたところに勧修寺という寺がある。醍醐天皇の生母藤原胤子のために、承俊律師を開山として胤子の祖父である宇治郡郡司の宮道弥益の邸あとに建立されたもので、氷室の池を中心とする池泉回遊式の庭園で知られる。 

その後、藤原北家の高藤の子定方が勧修寺の西塔を建てて同寺を氏寺として仰ぐようになったことから、子孫は勧修寺流と呼ばれ、やがて嫡流は勧修寺を家名とした。

平安時代の公家の多くは、一条、冷泉、西大路など、京都の通りの名を家名としたが、西園寺や勧修寺など、関りの深い寺院名を家名としたものも少なくない。

ところでこの勧修寺、家名としては「かじゅうじ」だが、現在の町名は「かんしゅうじ」で、近くの山科川に架かる橋にも「かんしゅうじ」と書いてあった。今では寺名も「かんしゅうじ」と呼ばれることもある。こうした変化は珍しいことではなく、冷泉通りも現在は「れいせん」が正式名称となっている。

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