一生モノのスキルになる! 『文章を書く』ことの苦手を好きにかえる方法<連載第8回>
伝える力【話す・書く】研究所を主宰し、「文章の書き方」に関する著書も多い山口拓朗さんに書き方のコツを教わります。今回は文章を書くときに起こりがちな、「事実」と「意見」の混同について。
「意見」を「事実」として書くのは、大問題
あなたは「事実」と「意見」を混同していませんか? ことビジネスシーンにおいて、文章を書くときに「事実」と「意見」を明確に線引きすることは極めて重要です。両者を混同すると、読む人に「いい加減(悪い意味で)」「不正確」「ウソつき」と思われる恐れがあります。混同をくり返せば、信用を落としたり、不信を買うこともあります。
以下は「事実」と「意見」の違いです。
【事実】
・本当にあった
・現実に存在する
・調査・実験・検証などで必ず確認できる
・世の中の多くの人が「そう」だと認識している
・「正しいor 正しくないか」のどちらか
【意見】
・自分の考え(憶測も含む)
・自分の判断
・調査・実験・検証などで確認できないものもある
・世の中の多くの人が「そう」だとは認識していない
・「正しいor 正しくないか」を決められないこともある
文章を書くときには、いつでも、書いている事柄や物事が「事実」か「意見」かを冷静に見極める必要があります。
理由を明確に書くことで、「事実」と「意見」をはっきりさせる
その革靴は2万円と安かった。
この文章に疑問をもった人は、おそらく「事実」と「意見」の境界線が見えている人でしょう。「革靴が2万円」だったのは、紛れもない事実でしょう。一方で、それが「安い」かどうかは書き手の主観的な評価・判断にすぎません。
2万円という価格を安いと感じる人もいるかもしれませんが、高いと感じる人もいるでしょう。それにもかかわらず、まるで「革靴2万円=安い」が事実であるかのような書き方をしています(多くの人が革靴を「安い」と感じるのは3000〜5000円程度でしょうか?)。
「事実」と「意見」の違いに敏感な人のなかには、この文章を読んだときに「デタラメだ」と感じる人もいるかもしれません。最悪、「この人は自分の意見を、あたかも事実のように書く信用ならない人だ」と思われてしまう恐れもあります。「事実」と「意見」を混同して書くことは、読む人にとってはもちろん、書き手自身にとっても大きなリスクなのです。
では、この文章をどう修正すれば、「事実」と「意見」の混同を避けることができるでしょうか。
【修正文1】
そのリーガルの革靴は2万円だった。リーガルの相場からすると安かった。
【修正文2】
その革靴は2万円だった。私が愛用している革靴のなかでは安いほうだ。
【修正文3】
その革靴は2万円だった。安いと思った。
修正文1〜3にも「安い」という言葉は使われていますが、それと同時にその理由も明確にしています。
・リーガルの相場からすると安かった。→ブランドの相場を調べたのであれば事実
・私が愛用している革靴のなかでは安いほうだ。→体験として事実
・安いと思った。→「思った」と書いてあるので意見
このように、事実は事実、意見は意見として、それぞれ明確に分けて書くことによって読む人が理解・納得しやすい文章になります。
「意見を事実だと思い込むクセ」を直すには……
「事実」と「意見」を混同した書き方は、ときに読者をミスリード(誤解させること)する役割を果たします。これをあえてテクニックとして悪用する人もいますが、そんなテクニックに溺れれば、いずれ、その人は信用を失うことになるでしょう。ビジネスシーンで書く文章で大事なのは、読む人の誤解を招くことなく、事実は事実として、意見は意見として、それぞれ正しく伝えることです。
「事実」と「意見」を混同した例をご紹介しましょう。
残業の多い会社に勤めるかわいそうな彼は〜
※「かわいそう」かどうかはわかりません。【書き手の主観・憶測が強い】
誰からも愛されている東野圭吾の小説は〜
※「誰からも」というわけではありません。【一般化しすぎ】
スティーブ・ジョブズはアメリカ史上最も偉大な経営者である。
※「アメリカ史上最も偉大」と言われると同意し難い人もいるでしょう。【書き手の主観・憶測が強い】
日本は島国ゆえ日本人は魚料理が大好物だ。
※「島国ゆえ」という根拠に疑問が残ります。そもそも「日本人は魚料理が大好物だ」と言い切るのも少し乱暴です。【書き手の主観・憶測が強い】
上記は、あたかも事実であるかのように意見を語った文章です。ミスリードを誘うやり口もよくありませんが、書き手自身が「意見を事実だと思い込んでいるケース」もやっかいです。本人が無自覚だとしたら、そのクセを直しようがないからです。
「意見を事実だと思い込むクセ」を直すためには、書き手自身が「事実と意見の区別ができていないこと」に気づく必要があります。自覚することができれば、治すことも難しくはありません(「事実」と「意見」を分けて考える意識が芽生えるため)。この記事が、その自覚を促す一助になれば幸いです。
もっとも、「事実」と「意見」が一緒くたになった文章は、世の中に掃いて捨てるほどあります。それらのなかには、書き手が意図して書いたものもあれば、そうでないものもあります。したがって、読む側は、その文章を読みながら、冷静に「何が事実で何が意見なのか」を見極めていく必要があります。そうした眼力を磨くことによって、自分が文章を書くときに「事実」と「意見」を上手に書き分ける能力も磨かれていきます。