人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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イロハの地名

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2018/09/10 11:31

前回紹介した伊能忠敬の旧宅のあたりは、平成大合併前の佐原市の中心地で、今の住所でいうと「千葉県香取市佐原イ」。この「イ」はカタカナの「イ」で正式の住所である。

江戸時代、村の数は極めて多く集落1つで1つの村という規模だった。明治になって行政単位の村が生まれた際、さすがにこの規模では村の運営が厳しいため、いくつかの村を合わせて1つの行政村とし、かつての村名は大字に引き継がれた。ところが、千葉県の一部では旧村名を大字とはせずイロハに置き換えたところがある。

佐原では明治22年(1889)の町村制施行の際に佐原町となり、大字のかわりにイロハを採用した。佐原の中心街はイロハの最初である「イ」をあてたことから「佐原町イ」となり、香取市に引き継がれて香取市佐原イとなったものだ。

千葉県では、他にも旭市、匝瑳市(旧八日市場市)、八街市、東庄町、山武市(旧蓮沼村)などでもみられる。このうち旭市では、明治22年に網戸村・成田村・十日市場村・大田村を合わせて旭町が誕生した際、旧網戸村を「イ」、旧成田村を「ロ」、旧十日市場村を「ハ」、旧大田村を「ニ」という地名にした。そして、そのまま市制施行して旭市となったため、今でも「旭市イ」というユニークな地名として残っている。

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