日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2018/07/17 10:09
奈良からの帰り、JR奈良駅から反対方向の桜井線(万葉まほろば線)に1駅乗り京終駅で降りてみた。「京が終わる」と書いて「きょうばて」と読む難読駅だ。駅を降りて少し歩くと、電柱の看板に奈良市南京終町という地名が書かれており、今でも地名として残っているようだ。
奈良時代、都は今の奈良市を中心とする平城京であった。平城京は中央の朱雀大路を中心として東西に分かれ、南北9条×東西各4坊の長方形をした計画都市だったが、のちに左京(東側)の2〜5条が3坊分東に出っ張った形で拡張された。この拡張部分を外京(げきょう)という。
外京は春日山麓の高台にあり、ここには興福寺や元興寺などが建てられた。ちなみに、東大寺は外京のさらに外側で、平城京外に建てられている。この外京の南端が、都(=京)の果てという意味で「きょうばて」という地名になり、「京終」という漢字を当てたものだろう。
都が平安京に遷都された後、外京は東大寺、春日大社、興福寺などの門前町として栄えた。江戸時代には奈良町と呼ばれ、奈良奉行が管理した。京終地区はこの奈良町の最南端にあたり、文字通り長く都市の南端に位置していた。今の奈良市の市街地はもっと広がっているが、地名から平城京の歴史をよみとることができる。