人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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大阪はなぜ「阪」の漢字を使うのか

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2018/04/02 11:15

前回「大坂」の名字について書いたが、現在の大阪府や大阪市は「坂」ではなく「阪」という漢字を使う。徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣は「坂」で、「大阪の陣」とは書かない。ではいつ頃から変化したのだろうか。

「おおさか」という地名が最初に文献に登場するのは明応7年(1498)のことで、「大坂」と書かれていた。その後、「小坂」などと書かれることもあったが、江戸時代には「大坂」と土偏の「坂」を書くのが普通だった。しかし、稀に「阪」の字を使うこともあり、必ずしも「大坂」だったわけでもない。

その理由は諸説あるが、文化5年(1808)刊行の『摂陽落穂集』によると、坂は分解すると「土」と「反」に分けられ「土に返る」と読めることから、縁起がよくないと忌み嫌って「阪」を用いる人がいたとある。明治元年、大阪府が設置されたことで「阪」を使うのが正式となったが、しばらくは「阪」と「坂」が混用されていた。

しかし、明治10年代には「大阪」と書くことが一般的になったようだ。実は、名字でも、大阪を中心に「阪本」「阪井」「阪口」「阪下」など、「さか~」という名字に「坂」ではなく「阪」という漢字を使うことも多く、おそらく同じ理由だろう。

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