人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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田村家上屋敷と切腹最中

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2017/12/18 11:39

12月14日は忠臣蔵討ち入りの日。そこで、所縁のある新橋を訪れた。

江戸城松の廊下で吉良上野介に刃傷をはたらいた浅野内匠頭は、田村右京大夫に預けられ、その日のうちに切腹した。この田村右京大夫とは、陸奥一関藩主の田村建顕で、切腹したのは一関藩の上屋敷だった。屋敷のあった場所は、JR新橋駅と地下鉄三田線御成門駅の中間あたり。かつては田村家に因んで田村町と呼ばれていたが、今は新橋4丁目となっており、新橋4丁目交差点の角には浅野内匠頭終焉之地という碑が建てられている。

takuminokami

徳川家康入部以前の江戸は鄙びた漁村にすぎず、地名が少なかった。そのため、江戸の町づくりが進むにつれて地名が足りなくなり、住んでいた人の名字をとって地名とするところが多かった。地方ではその土地に住んでいた人が地名をとって名字にすることが多かったのに対して、逆の事情となっている。

なお、田村家上屋敷のあった場所には新正堂という和菓子屋があり、忠臣蔵に因んだ和菓子を販売している。なかでも有名なのが、腹の開いた最中から餡が豪快にはみ出した切腹最中。甘さを抑えた上品な餡と、中に入っている求肥の絶妙な取り合わせで人気商品となっている。

sinseido

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