日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2017/08/07 11:37
上信電鉄で山名駅から3つ目が吉井駅だ。ここは平成の大合併で高崎市に編入されたが、それまでは群馬県多野郡吉井町という独立した自治体だった。吉井は江戸時代の城下町で、ここに陣屋を置いた吉井藩は、藩主吉井家が治めていた。
この吉井家は公家の出である。しかも、五摂家と呼ばれる公家の最高家格に属する鷹司家の出という、珍しい来歴の大名である。
江戸時代初期、3代将軍徳川家光は公家の鷹司家から正室本理院(鷹司孝子)を迎えた。この縁で、鷹司信房の四男で本理院の弟にあたる信平は、慶安3年(1650)に将軍家光に召し出されて武家となり、旗本として取り立てられた。これが吉井家の祖で、承応2年(1653)には紀伊藩主徳川頼宣の娘と結婚し、翌年「松平」の称号を賜って鷹司松平家と称した。
宝永6年(1709)3000石を加増された信清は1万石となって諸侯に列し、上野国多胡郡矢田(高崎市吉井町矢田)に陣屋を置いて矢田藩を立藩した。のち陣屋を吉井に移して吉井藩となっている。
維新後、松平信勤は「松平」の名字を返上、藩庁の地名をとって吉井氏と改称している。