日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2017/07/18 15:54
上信電鉄の佐野のわたし駅から3駅乗ると山名駅に着く。ここは、清和源氏の名門山名氏のルーツの地だ。駅から少し歩くと、周囲は一面の麦畑。訪れたころはちょうど麦が穂を出しており、季語の「麦の秋」の風景だった。
この付近一帯を古くは山名郷といい、新田義重の長子義範が住んで山名氏を称したのが山名一族の祖。義範は源頼朝の挙兵に従い、後白河法皇から伊豆守を受領している。
近くの山上には山名城跡がある。山名氏は鎌倉時代は低迷、室町時代には転出したため、はっきりしたことはわからないが、城跡は低迷していた時期の山名氏の居城であると伝えている。本丸跡には碑がありベンチが設置されているが、訪れる人は少なそうだ。
山名氏は、元弘三年(1333)の新田義貞の挙兵に従い、室町時代には四職のひとつとなって、一族で日本全国の六分の一を保有していたことから「六分一殿」と呼ばれるほど大きな力を持っていた。応仁の乱でも持豊が西軍の総帥をつとめている。
しかし、京の戦乱のなかにあるうちに各地の領国は国衆の台頭で奪われて没落。戦国時代末期には一族の豊国(禅高)が鳥取城を守るのみとなり、江戸時代は交代寄合(高禄の旗本)にすぎなかった。