人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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中伊豆を歩く(2) 北条氏のこと

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2016/11/14 13:06

中條の公民館。条と條は新旧字体の関係だが、公民館の銘板では「条」が使われている

蛭ヶ小島の配流先で20年間の雌伏の時を過ごした源頼朝は、この間に地元の有力武士、北条時政の娘政子と結婚して、北条氏を味方に引き入れた。配下のいない頼朝にとって、源氏再興の決起をするためには、北条氏の後ろ盾は必要不可欠なものだった。

しかし、北条氏は源氏ではなく平氏の出である。北条氏の祖は、平清盛の属する伊勢平氏の祖維平の兄維将の子孫。時家が伊豆介となって伊豆国北條に住み、北条氏を称したのに始まる。実は、源平合戦で源氏方についた武士には平家の一族も多い。源平合戦とは、源氏と平家の戦いではなく、政権を取っている伊勢平氏と、それ以外の武士の戦いだった。

北条氏が住んでいたのは、韮山駅から蛭ヶ小島とは反対側に15分ほど歩いたところで、守山の麓の谷間にあった。このあたりの地名が北條である。そして、ここから少し南に歩くと地名は「中條」となり、川を渡ったところから伊豆長岡駅前あたりにかけてが「南條」だ。

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北条氏の館跡
南条の交差点
南條の交差点

この「~条」という名字は、古代の土地管理制度である條里制に因むもので、伊豆以外にも各地に地名がある。従って、各地をルーツとする北条氏がいたことが知られている。

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