日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2016/09/26 10:24
源氏には、清和源氏以外にも多くの流れがある。最も早く「源」姓を賜ったのは嵯峨源氏で、弘仁5年(814)に嵯峨天皇の皇子ら8人が源姓を賜ったのが祖。
このうち、源融は左大臣となって「河原左大臣」と呼ばれ、『源氏物語』の光源氏のモデルともいわれる。この融の孫の仕は武蔵国の国司となり、その子宛(充、あつる)は足立郡箕田(埼玉県鴻巣市箕田)に土着して箕田源次と称した。
宛は関東では桓武平氏の村岡良文と並ぶ有力武士となっており、この2人がその武力を競った様子は『今昔物語集』巻二十五の「源充平良文合戦語」にも収録されている。
宛の子綱は、仁明源氏の源敦の養子となり、のちに養母方の里である摂津国西成郡渡辺(大阪市)に住んで渡辺氏を称した。この子孫は、渡辺党という同族集団を形成して嵯峨源氏の嫡流として活躍したことから、箕田は嵯峨源氏や渡辺一族のルーツの地とされることもある。
仕・宛・綱の3代の住んだ箕田は、現在では北鴻巣駅にほど近いあたり。同地の氷川八幡神社には江戸時代に建てられた「箕田碑」が残っているが、館跡はなく、住宅地の片隅にある「山神荒神」と書かれた小さな石碑が、館跡の痕跡であるという。