人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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福井の由来

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2016/06/27 09:09

柴田勝家の像

先日、ロケで福井県鯖江市を訪れた。

東京から福井県は遠い。ロケはほぼ一日かかりそうなことから、前日夕方に前乗りして福井市に一泊。翌日の朝、収録前に市内を軽く散策した。

戦国末期の福井県は、柴田勝家が支配していた。ただし、当時の名称は「北庄」(きたのしょう)である。これは伊勢神宮の神領で、のちに一条家領となった足羽御厨(あすわみくりや)の北の荘園、といったような意味だろう。

江戸時代初期に、徳川家康の孫に当たる松平忠昌が越後高田から転じてくると、城の位置を改め、その際に「敗北」という意味のある「北」の字をきらって「福井」と改称した。この由来となったのが天守閣脇にあって名水の湧く「福の井」という井戸だとされ、今でも天守閣跡には「福井の由来」として史蹟となっている。

福の井
福の井

しかし、現在では、城を移してからしばらくは「福居」と書かれ、「福井」となったのは18世紀初頭とみられている。50万石から25万石という大幅な減封で国主格から城主格に落とされた際、幕府によって「福井」と書かれたのが理由ではないか、という。

親藩大名とはいえ、幕府には逆らうことはできなかった。

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