日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2016/06/06 09:42
平忠度と並んで「平家物語」でその最期が有名なのが平敦盛だろう。敦盛は清盛の甥にあたり、都では祖父忠盛が鳥羽院から賜った「青葉」を受け継いだ笛の名手として知られていた。
一の谷の合戦の際、熊谷直実は、奇襲を受けて海上の船に逃げる平家方の武将に、「敵に後ろをみせるとは卑怯だ」と呼びとめて組みつき、馬から落とした。
いざ首を獲ろうとしたところ、自らの息子と同じくらいの年齢の公達であることに気がついて躊躇したが、敦盛から「汝がためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸を取って人に問へ」(「平家物語」巻九)と言われ、さらに後ろから味方も駆けつけて来たことから逃がすわけにもいかず、その首を獲った。その後、腰につけていた錦袋に入っていた笛から敦盛であることがわかり、敵味方ともに涙したという。敦盛このとき弱冠17歳であった。
この場面は、後に能や文楽などでしばしば取り上げられ、歌舞伎の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」もこれを題材としている。直実はその後も数々の武功をあげたが、やがて出家。その理由の一つとして、この敦盛の首を獲ったことがあげられることもある。
熊谷直実は、その名字のとおり埼玉県熊谷市を本拠としていた。桓武平氏の一族で、JR熊谷駅前には、馬に跨った銅像が建てられている。