日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2016/05/30 10:38
岡部忠澄といえば、『平家物語』の「忠度最期」で有名。一の谷合戦で、平家の公達を追い詰めた岡部忠澄は、誰ともわからないままその首をとった。そして箙に縫い付けた歌から平忠度であることを知り名乗りを上げると、敵味方を問わず「惜しい武将を亡くした」と涙を流したという。
さて、岡部の地名は駅から少し離れたところある。現在は「岡部」と「普済寺」という2つの地名にわかれているが、かつては両方合わせて岡部村だった。
この普済寺は建久2年(1192)に岡部忠澄が創建した寺で、本堂には大きく「○にはね十字」の岡部氏の家紋が掲げられている。そして、寺から200mほど北に小さな公園があり、ここが岡部忠澄の墓である。覆屋の中に6基の五輪塔があり、右から2番目が忠澄の墓とのこと。
一方、忠澄が討ちとった平忠度の墓は、深谷駅近くの清心寺にある。忠度の菩提を弔うために、忠澄が自らの所領のうちで最も景色のいい場所に供養塔を建てたと伝えられている。
ちなみに、無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」といった。この薩摩守とは忠度の官職名。「ただ乗り→忠度→薩摩守」というわけだ。この洒落が通じるほど、かつて平忠度は有名だった。