人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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穴山一族

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2016/01/18 11:29

甲府市の武田神社・拝殿(photo by a_text/fotolia)

先週に引き続きNHK「真田丸」をみている。

武田勝頼を裏切った小山田信有はあっさりと織田信忠に処刑される一方、重臣・穴山梅雪は徳川家康に裏切者とさげすまれながらも、表面上は歓待される。

前回、小山田氏は他国出身者と書いたが、穴山氏は武田家内でも名門中の名門であった。その祖は南北朝時代の武田家当主信武の四男・義武で、山梨県韮崎市穴山町に住んだことから穴山氏を名乗った。義武には子供がなかったため、宗家武田信春の三男・満春が穴山氏の名跡を継ぎ、そのあとは武田信重の次男・信介が継ぐなど、武田宗家とは密接な関係のある一族だった。

さらに、梅雪の父信友は武田信虎(信玄の父)の娘・南松院殿を娶って武田御一門衆に列し、梅雪も武田信玄の女婿となるなど血縁的にも近く、公的文書では「武田」の使用を許されるほどの重要な地位にいた。

しかし、梅雪もこのあとまもなく本能寺の変のあおりで、畿内で客死することになる。結局、滅んだのは武田宗家だけでなく、裏切った小山田氏や穴山氏も勝頼のあとを追った(織田家に内通した木曽氏も江戸時代初期には断絶した)。

そう考えると、江戸時代も大藩として続いた真田一族のすごさがわかる。

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