日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2015/10/05 10:45
先日、群馬県太田市の世良田に行って来た。中世、この当たりは新田荘の一部だった。新田荘は、かつての上野国新田郡全域から、現在では埼玉県となっている深谷市の一部まで含む広大な荘園で、この荘園を支配したのが清和源氏の名門新田氏であった。
新田氏は、源義国の長男義重が祖。義重の異母弟義康は足利氏の祖となり、やがて両氏は北関東を代表する武家に成長した。しかし、鎌倉時代に執権北条氏と縁戚関係を結んで幕府の中で大きな力を持った足利氏に対し、新田氏は上野守護北条氏のもとで冷遇されていたとみられる。
そのため、後醍醐天皇が挙兵すると、義貞は関東の武士を率いて鎌倉を攻め、北条氏を倒して幕府を滅ぼした。しかし、足利尊氏との対立から南朝を率い、義貞の討死後は衰退した。
世良田駅から南に1キロほど歩いたところに新田荘歴史資料館がある。玄関の脇には太刀を捧げた新田義貞の銅像が建っていた。これは義貞が鎌倉を攻める際、稲村ヶ崎で太刀を捧げたところ、潮が引いて軍勢が渡ることができたという『太平記』の故事によるものだろう。
新田荘歴史博物館の見どころは、末裔の岩松家の当主が描いた「新田猫」だ。わずか120石ながら、交代寄合という準大名の資格を持っていた岩松家は、幕末から明治初期にかけて4代にわたって鼠よけの猫の絵を描き珍重されていた。