日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2015/09/28 11:59
シルパーウィーク最終日の9月23日の夜、NHKで「集まれ田中!」という番組が放送され、私も出演してたきた。NHKが名字をテーマとした特集番組を放送するのもおそらく初めてだが、そのメインに、由緒もあり数も多い「佐藤」や「鈴木」ではなく、敢えて「田中」という名字を据えたのも話題となった。
時間の都合で放送されなかったが、一見あまり由緒がなさそうな「田中」も、実は古代からあった。その代表が、大和国高市郡田中(奈良県橿原市田中町)を本拠とする田中氏だ。
『古事記』の孝元天皇の段に「蘇賀石河宿禰者。<蘇我臣。川辺臣。田中臣。高向臣。小治田臣。桜井臣。岸田臣等祖也>」とあり、天武天皇13年(684)の八色の姓の制定に際して朝臣姓を賜っている。
また、『日本書記』の第二二の推古天皇31年の条には、推古天皇が新羅を討とうとした際に、田中臣(名前は不明)が「然らず。百済は是反覆多き国なり。・・・」と反論したとみえ、これがおそらく史書に登場する最古の田中氏とみられる。
さらに、持統天皇元年(687)には田中朝臣法麻呂が天武天皇の喪を告げるために新羅に派遣され、法麻呂はのち伊予総領、伊予国司をつとめた。天平宝字8年(764)には田中朝臣多太麻呂が陸奥守・鎮守将軍となり、『懐風藻』には田中朝臣浄足の詩1首が掲載されているが、奈良時代末期以降、古代豪族の田中氏は没落してしまった。