日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/02/25 10:33
小倉あん発祥の石碑
嵯峨も渡月橋から竹林の小径あたりまでは外国人で賑わっているが、竹林の小径を過ぎると急に人が少なくなる。落柿舎のあたりでは人もまばらになり、その先の二尊院では歩いている人もほとんどいない。
二尊院は天台宗の寺院で、正式には小倉山二尊教院華台寺という。境内には藤原定家が営んだ時雨亭跡と伝わる場所があり、小倉あん発祥の地とも伝わっている。紅葉の名所で秋にははかなりの人出があるようだが、この時期は人はほとんどいない。
二尊院には、公家の二条家と鷹司家の墓所がある。江戸時代には公家は140家ほどあって、摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家という家格にわかれていた。最も家格の高い摂家は近衛家、鷹司家、一条家、九条家、二条家と5家あり、合わせて五摂家という。このうち、鷹司家と二条家の墓所がここにある。
本堂横の階段を登ると、二条家の墓所が左右に広がる。二条家は鎌倉時代初期に九条道家の二男良実が二条富小路第に住んで「二条」と称したのが祖で、南北朝時代に関白を務めた二条良基が連歌師として有名。明治時代には公爵となっている。二条厚基公爵や分家の二条男爵家の墓などがあった。
ここからさらに階段を登ると、一番上に鷹司家の墓所がある。二条家の墓所も広い敷地に多数の墓塔が並んでいたが、鷹司家の墓所はさらに立派だった。鷹司煕通公爵や、分家の西町鷹司家の墓が並んでいる。
鷹司家は鎌倉時代に近衛家実の四男兼平が鷹司室町に住んで「鷹司」と称したのが祖。明治時代には公爵で、鷹司信輔は鳥類学者として知られている。実は鷹司家は江戸時代に一度中絶し、東山天皇の子閑院宮直仁親王の第四皇子が継いでいる。つまり、数少ない天皇家の男系の子孫である(本家の公爵家はのち女系となった)。二尊院にはこの他にも、四条家や三条西家の墓所もある。