人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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日田市の豆田と隈

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2025/01/21 10:15

隈の街並み

大分県の日田市を訪れて来た。日田は江戸時代天領として栄えた町で、もともとは2つの町があった。日田駅の南側にある日隈(ひのくま)城の城下町隈と、日田駅北側で天領時代に陣屋を中心として栄えた豆田である。

豆田の街並み

日隈城は豊臣政権下で宮城豊盛によって築城され、江戸時代初期には毛利高政が居城していた。その後は天領となって城も廃城、町の中心地は豆田に移っていった。

明治22年の町村制でも隈町と豆田町に分かれていた。まもなく合併して郡名をとって日田町となり、昭和15年に周辺を合併して日田市となった。平成の大合併で市域はさらに広がり、現在は旧日田郡のほぼ全域に及んでいる。

日田は大分県にも関わらず三隈川は筑後川の上流にあたり、川は西に向かって流れている。文化的にも川を通じて福岡県の筑後や筑前との関係が強いといい、盆地にも関わらず、市内には「港町」という地名もある。

さて、日田へのアクセスは高速バスが便利だ。博多バスターミナルと天神バスターミナルから交互にバス便があり、合わせると日中は30分間隔で走っている。さらに博多便は福岡空港にもよるため、観光客には便利だ。そのため日田には外国人が目立ち、とくに韓国からの旅行客が多い。

ただ、こうした観光客は圧倒的に豆田に集中している。豆田町の各店には韓国語が飛び交い、案内も日本語と韓国語で書かれていたりする。

その豆田の中でも圧巻だったのが、日田醤油の公開しているひな人形ミュージアムひな御殿だ。店の奥に広がる座敷に、これでもかという量の様々なタイプの雛人形が飾られている。しかし、店舗では多くの観光客が買い物をしていたものの、ほとんどの人が素通りしていたのが残念。

こうして賑わっている豆田とは対照的に、隈地区は人が少ない。三隈川畔には日田温泉という温泉街があり、今回はここに泊まってて日隈城跡も訪れた。日隈城は面白い所にある。三隈川はここで流れが三分割しているのだ(少し下流で再合流する)。そして、その中洲のような場所の突端にある小高い場所が城跡で、現在は亀山(きざん)公園となっている。

亀山(きざん)公園

山上の日隈神社が本丸跡で、途中には曲輪っぽいところもあるものの、一切案内がないためはっきりしない。風光明媚でいいところなのだが、今は豆田に全力集中ということらしい。

日隈神社

 

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