人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

村上の嵩岡家

このエントリーをはてなブックマークに追加

2024/12/10 10:44

村上の街並み

酒田からの帰りは、羽越本線で途中下車しながら日本海沿岸を南下した。

酒田駅発6時59分の特急に乗って、最初に下車したのが村上駅。村上藩の城下町である。まずは入口に「クマ出没注意」という看板のある道を登って村上城址へ。標高はそれほど高くないが、結構急な上りでほぼ登山である。城址からは三面川に面した村上城下を見渡すことができる。

村上城址

村上藩は外様・譜代・親藩の大名が何度も入れ替わった後、江戸中期以降は内藤家5万石となった。驚くのは、この5万石の藩で旧藩士の武家屋敷がいくつも保存されていることだ。

最も有名なのは国の重要文化財にも指定されている若林家。藩ではかなり上位の武士で初代は分家の家老も務めた家柄なのだが、それでも禄高は150石。時代小説を読んでいると、まれに「わずか300石の藩士」のような表現に出くわすことがあるが、小藩では300石もあれば藩を代表するような家柄だった。

若林家の他にもいくつかの藩士の家が残っており、その中には嵩岡家がある。「嵩岡」と書いて「たかおか」と読む。嵩岡家も村上藩士で、禄高は100石。村上藩の天明7年(1787)の分限帳に、江戸藩邸詰めとして「平侍百石嵩岡泰蔵」という名が見える。この嵩岡家の屋敷である。

嵩岡家は皇后陛下の祖母の実家でもある。もともとは村上市新町にあったが、昭和62年に宅地造成のために解体されることになったことから、村上市が有形文化財に指定して、平成8年同市庄内町に移転復元したものだ。軒には村上名物の干し柿と鮭がつるされていた。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ