日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2024/10/15 10:38
13日のNHK大河ドラマ「光る君へ」で、高杉真宙演じる藤原惟規が父の赴任先の越後国府で死去した。史実通りとはいえ、ドラマ中では人気の高かったキャラだけにSNS上でも惜しむ声が高かった。
さて惟規、ドラマではまひろ(紫式部)の弟という設定になっていた。しかし式部とともに生年ははっきりせず、式部の兄説もある。亡くなったのは30代後半で、当時の貴族としてはそれほど短命なわけでもない。またドラマでは独身のようにみえたが実は妻帯していた。妻は藤原貞仲の娘で貞職という息子もいた。
この貞職の曾孫に藤原邦綱という人物がいる。邦綱は下級官人にすきなかったが、和泉・越後・伊予・播磨の受領を歴任して財力を蓄えると、4人の娘を六条・高倉・安徳の3天皇と、平徳子の乳母にした。このうち安徳天皇の乳母となった輔子は平重衡(清盛の五男)の妻でもあり、大納言典侍といわれる。
この大納言典侍と、源平合戦に敗れて木津川で処刑される重衡との今生の別れが『平家物語』巻第十一の「重衡被斬」に描かれている。重衡が「契(ちぎり)あらば後世にてはかならず生れあひ奉らん」という場面は、『平家物語』における名場面の一つとなっている。
邦綱は、異例の正二位権大納言まで昇進した。惟規の父為時が正五位下、惟規は従五位下に昇進したことであれだけ喜んでいるのをみてもわかるように、血筋が重要である当時の貴族としては極めて異例の昇進だった。
道長の子孫(曾孫の曾孫)である九条兼実は、その日記『玉葉』で「邦綱卿は卑賤より出ず」と書いているなど、惟規の子孫は「卑賤」という扱いだった。