人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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平泉寺と2つの馬場

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2024/10/01 10:30

白山比咩神社

大野のあとは勝山に向かった。大野にはJR越美北線、勝山にはえちぜん鉄道勝山永平寺線という別の鉄道が通じているため、なんとなく離れた場所のように感じてしまうが、実は両者は近く、九頭竜川をはさんで隣同士である。ただし、大野が盆地あるのに対し、勝山は九頭竜川右岸の河岸段丘の上にできた街だった。

そして、大野と勝山の中間にあるのが平泉寺である。

霊峰白山には、越前・加賀・美濃の3か所に登山口がある。この3つの登山口を馬場(ばんば)といい、登山道を禅定(ぜんじょう)道という。越前の馬場が平泉寺の白山神社である。

平泉寺の寺域は広い。長い参道を抜けた奥にやっと一の鳥居がみえ、二の鳥居をくぐった奥には苔の中の道の奥に拝殿が見える。

見事な苔

戦国時代の天正2年(1574)、信長に味方していた平泉寺は越前一向一揆に攻められて全山が焼失する。そのとき、境内には48社、36堂、6000の坊院が建ち並び、8000人の僧兵がいたという。

今の境内は10分の1程度にすぎず、その遺構の多くは山林や田畑の下に埋もれている。平成元年から発掘調査が始まり、国史跡に指されて調査が続いている。

翌日、加賀の馬場、鶴来の白山比咩神社も訪れてみた。平成21年までは加賀一の宮駅まで鉄道が走っていたが、今では北陸鉄道石川線の鶴来駅まで。ここから30分ほど歩いたところに白山比咩神社がある。実は、加賀一の宮駅のあった金名線は昭和62年までここからさらに17kmほど先の白山下駅まで通じていた。

加賀一の宮駅跡

そして計画では県境を超えて大野まで行き、平泉寺と2つの馬場を鉄道で結ぶ予定だった。そもそも「金名線」という名称は、金沢と名古屋を結ぶという壮大な計画のもとにつけられた名称である。

金名線が越前大野で越美北線とつながり、越美北線と越美南線(現在は長良川鉄道)がつながっていたら、関東から会津にいたる野岩鉄道・会津鉄道のような、新幹線とは別の短絡ルートが誕生していた。

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