人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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配流となった藤原隆家のその後

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2024/05/21 10:09

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

19日の大河ドラマ「光る君へ」で、藤原伊周・隆家兄弟が配流となり政治の表舞台から消えた。長徳の変である。このうち、竜星涼演じる隆家は公卿でありながら乱暴者として知られており、後に予想外の活躍を見せることになる。

隆家は花山院に矢を射かけた罪によって出雲権守に配流され、病のため但馬にとどまった。その後許されて伊周とともに朝廷に復帰し中納言となる。しかし三条天皇の代に眼病にかかり、宋の名医に治療を受けるという名目で大宰権帥を望んで赴任した。

すると、大陸から刀伊(とい)が九州に来襲した。刀伊とは中国東北部の女真族が海賊化したもので、壱岐・対馬・九州北部沿岸を襲って老人・子供を殺害、壮年男女は捕虜として連れ去った。外敵の侵入というと元寇が有名だが、実はその260年ほど前にも大陸から九州に外敵が攻めて来るという大事件があった。

そして、この外敵に立ち向かったのが大宰権帥の隆家であった。隆家は大宰府の実質上の長官として事件に当たるだけではなく、自ら軍勢を率いて合戦し刀伊を退けたのだ。

このため隆家の武勇は九州に鳴り響いていたらしく、中世の九州を代表する武家菊池氏は自らを隆家の末裔とうたっていた。なお、現在では菊池氏の祖則隆は藤原隆家の郎党であるとされている。

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