人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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松本の馬場家住宅

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2024/01/09 10:22

年末に長野県の松本を訪れた。立川駅から特急あずさで2時間強。日帰り圏内である。

とりあえず、30年振りに松本城に登り、新しくできたばかりの松本市博物館を訪れた後、松本市南部にある馬場家住宅を訪れた。近くまで行くバスには時間があわなかったため、松本バスターミナルから寿台東口までバスに乗り、残り1キロほどは歩きである。

馬場家は信濃国筑摩郡内田(長野県松本市内田)にある旧家。初代亮政は武田信玄の家臣馬場信春の縁者と伝え、武田家滅亡後に内田に来て土着したという。

江戸時代には古屋敷と号した豪農で、高島藩主諏訪家とは親密な関係にあった。6代晴政のとき武田氏ゆかりの「馬場」を名乗りづらくなり、養子だった晴政の実家「百瀬」を称していたが、幕末には再び「馬場」に戻している。また幕末には高島藩主が訪問することもあった。

明治維新後、与平は片丘村初代村長に就任、当初は村役場も馬場家内におかれていた。与平の孫称徳は外交官や東京外国語大学教授をつとめている。

その住宅は周囲には土塁を巡らしており、さらにその外側には濠があった可能性もあるとされる立派なもので、平成4年に屋敷地の主要部(西半分とそこに所在する建物)が松本市に寄贈され、市が修理保存。翌9年からは松本市の博物館として一般公開されている。

土塁の跡

嘉永4年(1851)築の主屋をはじめ、安政6年(1859)築の表門及び左右長屋、同時期建築の高島城主専用といわれる中門や、文庫蔵・奥蔵・隠居屋・茶室など格の高さを伝えるものが残っており、国の重要文化財に指定されている。

座敷の内部
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