日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/11/21 10:37
補陀洛寺のある那智駅からは、熊野那智大社行きのバスが出ている(紀伊勝浦発)。このバスにも外国人の姿が多い。驚くのはその中に一人旅が結構いることだ。英語のあまり通じない外国の田舎で、一人でバスに乗るというのはかなり旅慣れた人なのだろう。
さて、バスは那智駅を出ると那智川に沿って山の中に分け入っていく。牧野々、市野々など、「~のの」という独特の名のバス停を過ぎ、大門坂から那智の滝を通って終点の那智山まで40分ほどだ。
熊野那智大社の成立は、熊野三山の他の2社(本宮大社・速玉大社)よりは新しい。というのも、本来は那智の滝そのものが信仰の対象で、社殿は滝の前にあった。その後現在の場所に移されたわけだが、新しいとは言っても移転したのは仁徳天皇5年(317)で、今から1700年前のことである。
やがて3社合わせて熊野三山とといわれるようになると、朝廷から厚い信仰を受けた。今のように電車やバスがない時代、京から紀伊半島の南部まで行き、さらに険しい山を登って3つの神社を詣でるのは苦行難行だったに違いない。にもかかわらず、平安時代後期、後白河院は34回、後鳥羽院は28回も熊野詣を行っている(天皇在位中の熊野詣は1度もない)。
鎌倉時代には道も整備されて庶民の間にも熊野詣が浸透し、「蟻の熊野詣」と言われるほどに各地から参詣者が集まった。こうした多くの参詣者を集めるのに活躍したのが「御師」と呼ばれる人達で、彼らが名乗った名字が「鈴木」である。
しかし室町時代になると伊勢参りが人気となり、江戸時代には下火となってしまった。