日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/10/03 10:55
猛暑も一息ついたところで、JR東日本の大人の休日倶楽部会員限定切符「北陸フリー切符」を使って、北陸を回ってきた。この切符は往復北陸新幹線を使えば、富山・石川・福井の3県内はJR、あいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道が乗り放題。
しかも3県内に限り、新幹線、特急の自由席にも乗ることができる。福井県内では日中は普通電車より特急が多かったりするので、極めて便利でお得な切符だ。この切符を使って3県の何か所を巡ってきたので、順次紹介したい。
さて、初日に向かったのは石川県加賀市の橋立地区。昭和33年には片山津や大聖寺などと合併して加賀市となっていたため知名度は低いが、江戸時代から明治にかけては北前船の拠点として栄え、大正時代には船主などが軒を連ねる「日本一の富豪村」と紹介されている。
JR加賀温泉駅で降り、駅の観光情報センターで周遊バス「キャンバス」を紹介してもらいチケットを購入。まずはバス停蔵六園でおりて北前船主屋敷「蔵六園」を訪ねる。ここは豪商酒谷宗七郎の屋敷跡で、北前船船主の豪勢な羽振りを窺うことができる。
ここで見つけたのが鴨居に掛けられた前田利鬯の書で、許可を得て撮影した。そこには「正三位 菅原利鬯」と署名してある。
前田利鬯は最後の大聖寺藩主で、加賀藩主前田家の一族。前田家は菅原姓を称していた。明治時代には「前田」を戸籍名として登録しており「前田利鬯」と書くのが正しいのだが、「正三位」と位階とともに署名したために名字の「前田」ではなく姓の「菅原」を使用したものだ。
前田利鬯は大正9年没。つまり、明治時代には「正式の書名の際には名字ではなく姓を書く」という習慣が上流階級のなかではまだ息づいていたことがわかる。
因みに「蔵六」とは亀のこと。手足頭尾の6本を甲羅の中にしまうことができるからで、「蔵六園」は前田利鬯の命名である。
近くには本家にあたる酒谷長兵衛家の屋敷跡、加賀市北前船の里資料館もある。