日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/04/04 10:12
「どうする家康」に初回から登場している夏目広次。彼が酒井、大久保、本多、鳥居といった著名な家臣にまじって登場しているのには理由がある。それは、この後にある三方ヶ原合戦で重要な役割を果たすからだ。
この夏目氏は三河国幡豆郡の武士で、そのルーツは信濃国にある。先日そのルーツの地に行ってきた。北陸新幹線で上田まで行き、しなの鉄道に乗り換えてJRとの接続駅である篠ノ井駅で降りる。
ここから南西に向かって20分ほど歩いたところが長野市篠ノ井石川という地区で、そこから少し山を登ったところに湯入神社という神社がある。ここが夏目氏の拠った夏目城の跡とされ、神社へと続く階段の前に夏目一族発祥地の碑が建てられている。
夏目氏は清和源氏の一族で、信濃源氏の二柳国忠が源頼朝に仕えて夏目の地頭職を与えられ、その子国平が夏目氏を名乗ったのが祖である。そして、鎌倉時代後期に一族が三河国幡豆郡に移って三河夏目氏になったという。
夏目広次は三河一向一揆で家康に叛いて一揆方に属したものの、帰参を許された。その恩義を感じた広次は、三方ヶ原合戦で家康軍が敗色濃厚となると、突撃しようとした家康を無理やり逃がし、自ら家康の身代わりとなって討死することになる。
江戸時代、嫡流は断絶したものの庶流は旗本として存続、豊前中津藩家老をつとめた一族もある。なお、夏目漱石は武田氏家臣だった夏目氏の末裔と伝えており、広次とは同族だが子孫ではない。