人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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穴山梅雪のルーツ

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2023/03/21 10:54

大河ドラマ「どうする家康」に登場した武田信玄の重臣穴山梅雪。重臣というだけではなく、武田家の一門衆でもあった。そのルーツの地は甲斐国巨摩郡穴山(現在の山梨県韮崎市穴山町)である。穴山氏の祖は武田信武の四男義武で、穴山を領して穴山氏を称した。

義武には子がなかったため、本家武田信春の三男満春が穴山氏の名跡を継いで南部(現在の南部町)に移り、さらに満春のあとを継いだのも武田信重の次男信介で、その際に下山郷(現在の身延町)に転じた。つまり、初期の穴山氏は代々武田本家からの養子が継いでいた。また、ルーツの地とはいっても、穴山氏が穴山にいたのは初代の義武の時のみである。

そのルーツの地である穴山に行ってみた。

JR中央本線の穴山駅に降りると、ホームには「穴山氏発祥の地」と書かれた案内版がある。こうした案内がホームにあるのは珍しい。

この穴山駅、七里岩と呼ばれる舌状台地の上にある。地形図を見ると、西の釜無川と東の塩川に挟まれた細長い台地が北西から南東に向かって伸びているのがよくわかる。この台地の上に穴山氏の本拠があった。

券売機すらない無人駅を東側に出ると正面が能見城跡。天正9年(1581)に武田氏によって築かれた防塁である。ここから一旦線路の西側にわたり、再度東側に出て葡萄畑の中を15分程歩いたところに穴山氏の居館跡がある。

といっても、痕跡は何もなく道端の雑木林の前に案内の碑が立っているだけだった。南アルプスを望むこの台地周辺一帯が穴山氏の居館だったという。

居館跡の碑
居館跡から見える南アルプス
居館があった舌状台地の上一帯
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