日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/01/24 10:08
年明けに京都に行ってきた。ただし、京都とは言ってもメインは丹後と宇治で、南北に縦断した形である。
丹後の中心都市は舞鶴市。舞鶴市は大きく西舞鶴と東舞鶴に分かれ、西舞鶴が城下町、東舞鶴が港湾都市と、その成り立ちが大きく違っている。
城下町である西舞鶴には丹後田辺城がある。戦国時代には細川幽斎が築城し、江戸時代には譜代大名の牧野家の居城であった。江戸時代の藩名も舞鶴藩ではなく田辺藩である。しかし、京都府には他にも山城田辺という地名があり(現在の京田辺市)、和歌山県の田辺も有名であるなど紛らわしいので、明治維新後、田辺は舞鶴と改称した。
この舞鶴というのは、城下の南にある白鳥峠から田辺城を眺めるとあたかも鶴が舞っている姿に見えることから、別名舞鶴城と呼ばれたことに因んでいる。城の名が市名となっているのは珍しい。
その後、明治22年に舞鶴の東側の倉梯村付近が軍港化して新舞鶴町となり、舞鶴町と新舞鶴町の中間にあった余部町も中舞鶴町と改称している。昭和13年舞鶴町は市制を施行して舞鶴市となり、新舞鶴町と中舞鶴町は合併して東舞鶴市として市制を施行、東西の舞鶴市が誕生した。
そして、戦時中には軍部の強い要望で両市が合併して舞鶴市となった。とはいえ、城下町の西舞鶴と軍港の東舞鶴は町の性格が違うことから戦後には分離運動も起きたが、京都府議会で否決されて実現しなかった。