人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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松平一族の菩提寺、大樹寺

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2023/01/17 10:37

15日の大河ドラマ「どうする家康」で、桶狭間から逃げ帰った家康(松平元康)は岡崎の大樹寺に入った。大樹寺は安祥松平氏初代の親忠によって建立されたもので、松平氏代々の菩提寺である。境内には松平郷の高月院にあった墓から分骨されたものを含め、松平一族の墓が並んでいる。

この先祖の墓の前で自害しようとした家康は、登誉上人の教えにより自害を思いとどまり、「厭離穢土 欣求浄土」を旗印に独立した武将への道を歩むことになったとされる。

江戸時代には大樹寺は将軍家の菩提寺となり、歴代将軍の位牌が安置された。最後の将軍である慶喜を除く14基の位牌はかなり巨大なものなのだが、一人一人その高さが違っている。江戸時代の男性の平均身長は157cmほど。これらの位牌の高さもほぼその前後で、各位牌の高さはそれぞれ将軍の身長に合わせていると言われている。

ところが並んでいる位牌を見ると、5将軍綱吉の位牌だけが極端に小さいことがわかる。8歳(満6歳)で死去した7代将軍家継よりも小さく、その高さはなんと124cmしかない。綱吉の実際の身長は不明だが、綱吉だけをあえて小さくする理由もなく、かなり背が低かったことは事実なのだろう。

 

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