日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2023/01/11 10:56
8日からNHK大河ドラマ「どうする家康」が始まった。これまでにない家康像が描かれるようで、初回からかなり斬新な設定での登場となった。
「どうする家康」は、戦国時代から江戸時代初期にかけてを舞台としている。初回は家康の家臣たちがメインだったが、このあとは次々と各地の武将たちが登場するはずだ。その中には戦国時代に消えた氏族もあれば、江戸時代には大名となって続いた家もある。今年はそうした氏族についてみてみたい。
さて、初回放送の当日に浜松市北部にある井伊谷(いいのや)に行ってきた。ここは家康四天王の一人となる井伊直政(今後登場の予定)のルーツの地である。以前「おんな城主 直虎」が放送された際にその不思議なルーツを紹介したが、その時には行きそびれていたので今回改めて訪れてみた。
JR浜松駅前のバスターミナルから「奥山行き」のバスに乗り、1時間ほど行った「神宮寺」バス停で降りる。ここが井伊氏のルーツの地である。
天竜浜名湖鉄道金指駅の北側に広がる神宮寺川と井伊谷川に挟まれた盆地で、古代には「井の国」が栄えていたといわれ、古墳も残されている。この井の国の豪族の末裔と藤原姓の地方官僚が結びついたのが井伊氏で、代々この地に勢力を持っていた。
神宮寺バス停の南400mほどのところにあるのが、小堀遠州作の石庭で知られる井伊氏の菩提寺龍潭寺である。そして、寺の南に広がる水田の中に、井伊氏の祖共保が生まれたという井戸が残されている。
この逸話は、井伊氏は共保を境に地方の古代豪族から、中央貴族である藤原一族の末端へと出自が変化したことを暗示している。