日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/09/20 10:58
18日のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、「武士の鑑」といわれた畠山重忠が北条時政・りく夫妻と平賀朝雅の陰謀で討ち取られた。このとき、剛勇で知られた重忠を討ち取ったのが、ナレーションのみで紹介された御家人愛甲三郎季隆である。
「愛甲」という名字は往年の野球ファンにはおなじみ。というのも、1980年夏に横浜高校のエースで4番を打って甲子園を制し、ロッテや中日で活躍した愛甲猛選手がいるからだ。
愛甲氏は相模国愛甲郡愛甲荘(現在の神奈川県厚木市愛甲)をルーツとする一族で、神奈川県西部から東京都多摩地区にかけて広がっていた横山党という武士団に属していた。愛甲選手も神奈川県の出身だ。代々愛甲荘の荘官をつとめ、鎌倉時代には幕府の御家人となって愛甲三郎季隆は弓の名人として知られていた。
このあと起きる和田義盛の乱では和田方に属して戦い、幕府軍に敗れて討死する。このとき兄義久も討死したため、以後愛甲氏の勢力は衰えた。
ルーツの地である厚木市愛甲には季隆の館跡が残っている。小田急線の愛甲石田駅から西に歩いて10分ほどのところで、公民館の前に「愛甲三郎館跡」といいう碑が建てられている。