日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2022/08/30 10:33
以前この連載で『吾妻鏡』で「イケメン(容貌美好)」と書かれていると紹介した結城朝光のルーツの地、結城市に行ってきた。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、結城朝光は実依(阿波局)を篭絡して梶原景時を失脚させると、以後登場しなくなった。ただし、このドラマの主要登場人物の多くが非業の死を遂げる中、当時としては珍しい87歳の長寿を保っている。
結城朝光は下野の豪族小山政光の四男で、下総国結城郡の地頭となったことから結城氏を名乗っていた。この結城は、現在の茨城県結城市である。小山氏の本拠だったJR東北本線小山駅で水戸線に乗り換え、わずか2駅7分で結城駅に到着する。結城は日本最古の絹織物として知られる結城紬で有名。
結城駅から北に5分ほど歩いたところに称名寺という寺院がある。
朝光は親鸞に帰依しており、親鸞の高弟だった真仏が開基したもので、境内には立派な朝光の墓があった。
朝光が築城した結城城は、結城駅から北東に25分程歩いたところにある。朝光以降代々ここに居城、室町幕府に反旗を翻した結城合戦で一時没落したものの数年で回復し、戦国時代には北条氏に属して同地の有力武家として続いた。
豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡すると、徳川家康の次男秀康が結城晴朝の養子となって結城氏の名跡を継いだため、結城氏は存続した。
しかし、秀康は関ヶ原合戦後に越前北ノ庄67万石に転じて結城を離れ、さらに将軍家の一門として松平氏に改称、名家「結城」の名は消滅した。そして、子忠直のときに改易されて名実ともに滅亡した。