人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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畠山重忠のルーツ

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2022/05/31 10:20

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に早い時期から登場している畠山重忠。

源氏方の武将の多くが平氏の出であるように、畠山氏も桓武平氏で、埼玉県西部に広がった秩父平氏という一族である。秩父重綱の長男重弘は秩父氏の家督を継がず、その子重能が武蔵国男衾郡畠山荘(埼玉県深谷市・熊谷市付近)の開発領主となって畠山庄司を称したのが祖である。

重能は秩父氏を継いだ叔父の重隆と対立し、源義平と結んで重隆を討ち秩父氏を滅ぼしている。そして、武蔵国が平家領となると平氏に仕えていた。従って、頼朝が挙兵した際も、重能の子重忠は平家の討伐軍として出陣、頼朝方の三浦一族の本拠地衣笠城を落城させた。しかし、後に頼朝に仕え重臣として活躍した。

ルーツの地である深谷市畠山は秩父鉄道永田駅が近い。駅から南に15分ほど歩いたところで、荒川を渡った先に「畠山史跡公園」として整備されている。因みに、この橋の名前は「重忠橋」という。

麦畑の広がる深谷市畠山

公園に入ると、馬を背負った重忠の銅像が目に入る。これは『源平盛衰記』にある、一の谷合戦で義経が鵯越から奇襲した際に、重忠は馬を担いで駆け下りたというエピソードに基づいているものだ。

現在のサラブレットは500kg近くあり、とても背負うことはできない。当時の馬はかなり小さかったというが、それでも300kg程はあったらしいので、やはり背負って降りるのは難しいだろう。

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