人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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「田園の憂鬱」の舞台

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2021/09/28 09:09

前回紹介した横浜市青葉区の鉄町は、小説「田園の憂鬱」の舞台となった場所でもある。「田園の憂鬱」は1919年に刊行された佐藤春夫の代表作。都会の重圧と喧噪に苦しんだ青年が、妻と2匹の犬と1匹の猫とともに草深い武蔵野の一隅に移って、自らを見つめる詩的な小説である。

この小説の中で「雑木原と、田と、畑と、雲雀との村」と書かれているのが、この鉄町である。佐藤春夫は当時の神奈川県都筑郡中里村鉄に4年間ほど移り住み、その時の心象風景を作品とした。

今では田園都市線沿線の住宅地として栄えているが、100年前には雑木林の茂る武蔵野の南端に位置する農村だった。この作品から20年後の1939年には中里村は横浜市に編入され、次第に郊外の住宅地として発展していくが、現在でもバス通りから脇道に入ると、かつての武蔵野の面影を見ることができる。

武蔵野の面影

この小説に登場する「師範学校の生徒で、村で唯一の女学生」は実在の方で、のちに私費でこの地に「佐藤春夫 田園の憂鬱由縁の地」という文学碑を建立したという。
バス停「中里学園入口」の近くということで探してみたが見当たらない。建立場所と思われるところが工事中で、どうやら撤去されてしまったようだった。

建立場所と思われる工事現場
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