人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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朝倉氏のルーツ

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2020/05/18 14:04

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「麒麟がくる」は舞台が越前に移り、当地の戦国大名朝倉義景が登場した。戦国武将というよりは公家風の演出になっていたが、朝倉氏は古くから栄えた一族である。

朝倉氏のルーツは越前ではなく、但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市八鹿町)。その先祖は『越州軍記』では景行天皇、『朝倉始末記』では孝徳天皇としているが、一般的には開化天皇の皇子丹波彦坐命を祖とする日下部氏の末裔とされる。平安時代には但馬国養父郡・朝来郡の郡司をつとめていたという古い氏族である。

鎌倉時代末、足利尊氏が丹波篠山で幕府に反旗を翻して挙兵した際に朝倉広景が従い、斯波高経に属したことで史上に登場、朝倉氏は斯波氏の重臣となって越前に移った。その後、孝景の時に斯波氏の内紛に乗じて越前一国を実質的に支配して、福井市南東の一乗谷に築城した。

以来、5代にわたって一乗谷を拠点として、幕政にも関与していた。後に15代将軍となる足利義秋が朝倉氏を頼ってくるように、戦国時代には北陸を代表する名門武家として、安定した統治をしていた。

このあと、朝倉義景は信長や光秀に大きな影響を及ぼす人物となっていく。

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