日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/04/27 11:29
主人公があまり登場しないことで話題の「麒麟がくる」。そもそも明智光秀の前半生は全く不明のため、ストーリーはどうしても歴史上の事件を追っていくことになる。
26日の放送では、尾張守護の斯波義寛が織田信友の老臣・坂井大膳に殺され、子義銀が清須城を脱出して織田信長のもとに逃れる場面があった。これを契機として信長は信友を討って織田一族の統一に乗り出し、義銀を斯波家当主につけている。
ドラマ上では突如登場した感のある斯波氏は、室町時代を代表する名門であった。将軍足利家の一族で、鎌倉時代に足利家氏が陸奥国斯波郡(岩手県紫波郡)を領して斯波氏と称したのが祖。室町時代には管領家となり、一時は8ヶ国の守護をつとめたこともある、室町時代きっての名門であった。
その本拠は越前国で、同地の一土豪だったのが織田家である。斯波氏が尾張守護となると、織田氏はその守護代に登用されて尾張に転じて勢力を広げ、ドラマの時代には斯波氏はもはや名目上の守護にすぎなかった。
信長によって守護の座につけてもらった義銀だが、永禄2年(1559)に信長が尾張を統一するとその存在価値を失い、翌々年には追放されて事実上滅亡する。しかし、義銀は津川義近と改称すると、後に娘を信長の甥に嫁がせて織田氏と復縁しその家臣となった。加賀藩家老の津田家はこの義近の子孫と伝え、明治維新後名字を「斯波」に戻している。