「あのときああしていれば……」「いや、あのときはそれ以外考えられなかった」「それでも、ほかのアイデアがあったのではないか……」同じことを何度も繰り返し悩んでは後悔する、そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか?

農業の分野で様々な技術を研究・開発した篠原信さんは「いいアイデアが出せないのは、自らの思考の枠(=思枠・おもわく)に囚われているからだ」と言います。

ここでは、3月発売の新刊『思考の枠を超える』(篠原信:著)から、固定観念から脱して臨機応変にアイデアを出せるようになるための「思枠」との向き合い方を、具体的なエピソードを交えて紹介します。

※本稿は『思考の枠を超える』の一部を再編集したものです。

方法1 思枠に気づく

[エピソード1:“こうあるべき”を捨ててみる]

息子が生まれてしばらくたった寒い日、「赤ちゃんがずっとぐずっている」と、嫁さんばかりでなく、おじいちゃんおばあちゃんも心配していた。熱はないようだけれど、顔が赤く、ずっとウ~と言って苦しそう。オムツでもなし、ミルクはよく飲むし、どこか体調が悪いんだろうか?

私はしばらく赤ちゃんを観察していて「暑いんじゃない?」と言った。

まさかこんな寒い日に!と言われたけれど、ものは試しに、肌着以外は脱がせてみた。すると赤らんだ顔が落ち着き、スヤスヤ眠り始めた。

「えー! こんな寒い日でも、肌着だけでちょうどいいって言うの?」

寒い日だから寒く感じているに違いない、顔が赤いからどこか体調が悪いに違いない、という思い込みを捨て、赤ちゃんを虚心坦懐に観察していたら、赤らんでいる顔と、昨日より厚着していること、服の中に手を入れるとムワッと熱がこもっていることに気がついた。そこから連想して「暑いんじゃない?」と類推が働いた。

ああであるべき、こうであるべき、という価値規準(思枠)があると、目で見ていても価値規準に合った情報しか頭に入ってこなくなります。いわゆるバイアス(偏り)がかかるといった状況です。

価値規準を脇に置き、目の前の現象や人物を虚心坦懐に観察し、五感で情報収集する。赤ちゃんが、おもちゃをかじったり叩いたりひっくり返したりして、その事物をしゃぶり尽くして観察してみてください。すると、自分が知らず知らずのうちに採用していた思枠を解除することができます。

方法2 思枠をずらす

[エピソード2:イヤイヤ期の子どもをごはんを食べさせる]

「ごはんだよ」と呼んでも、遊びに熱中の子どもたち。「イヤ~」と言ったり、返事もしなかったり。

そこで一計。指を立てて「クイズです! これは何本でしょうか?」「いちー!」「これは?」「にー!」「今度は難しいぞ~! これは?」「ろくー!」「正解! 次は競争だ! リビングにたどり着くのは誰が一番かな? よーい、スタート!」リビングに、我先に走り出す。

子どもは、「自分はこうしたい」と願っているのに、別方向を示されると反発します。「思い通りか、そうでないか」という枠組み(思枠)しか提示しないなら、子どもは「思い通り」を選択し、大人の思惑は外れてしまいます。文字通り、思い惑うことになってしまう。

場合によっては、「言うことを聞かない子は悪い子!」と、親がキレてしまい親子関係が悪化してしまうこともあるかもしれません。

ごはんに呼ぶ件も「遊びかご飯か」という思枠の中だと、当然遊びを選ばれてしまいます。少し回り道のようでも、指の数を当てるクイズという遊びの枠組み、リビングまで競争するという枠組み、などと一つ二つはさむと、「リビングへ移動する」という「思枠」まで橋渡しでき、スムーズに誘導することができます。

方法3 思枠を破る

[エピソード3:ヤクザに向かって「あなた、気に入らないね!」]

道案内をしたことから仲良くなった韓国人留学生と大阪の居酒屋で飲んでいた。すると、たどたどしい言葉から韓国人と察した、明らかにヤクザと思われる人物が「わしゃ、朝鮮人は嫌いじゃ!」と大声で叫び、挑発し始めた。

バッと立ち上がる留学生、私は大阪人だからすぐヤクザと分かるが、留学生にはわからない。ケンカになったら非常に面倒なうえに、相手が悪すぎると思った私は彼をはがいじめにし、必死に止めた。それでも「朝鮮人は嫌いじゃ!」と挑発をやめないヤクザ。

ところが留学生は、盛んに目配せする。どうするつもりだろう、と手を緩めると「あなた、気に入らないね!」と、あっという間にヤクザに向かって間合いをつめていった。

その瞬間、隣の席にドカンと座り、「ママさん、ビール!」。ハッとしたママさん、すぐさまビール瓶を差し出すと、留学生は「あなた、気に入らないね!」と言いながら、ヤクザのコップにビールを注いだ。

言葉では真っ向から異を述べつつ、ビールを注いで親愛の情を示す留学生の振舞いに戸惑うヤクザ。しかも、懐に飛び込まれていつでも殴れる間合いにつめられ、ドギマギ。体面を守ろうとしてか、そのヤクザは「朝鮮人は嫌いじゃが、お前のことは気に入った」と言った。

その言葉に、留学生はガバッと抱きつき、「これでトモダチね!」と言った。突然のハグにまたもや度肝を抜かれたヤクザ。もう、肩を叩いて親愛の情を返すしかなかった。

留学生はウインクしつつ、私のいる席に戻ってきた。

留学生は、ヤクザの提示した「ワシの挑発に腹が立つなら殴りにきてみろ」という思枠に乗ったかのように一気に間合いを詰めつつ、親愛の情を示すという「空気の破り方」を示すことで、事態をうまく収拾しました。

こうした手法は、大なり小なり、応用を利かせることができます。上司に問い詰められたとき。クレーマーから無理難題を吹っかけられたとき。相手の体面もこちらの体面も守れる「思枠の破り方」を脳内で繰り返しシミュレーションし、マスターしてみてください。

方法4 思枠をデザインする

[エピソード4:侘び寂びをデザインした千利休]

千利休の、渋いものほどカッコイイ、という「思枠」がいかに画期的だったかを示すエピソードは、ルソンつぼだ。

納屋助左衛門という貿易商がルソンつぼを秀吉に見せたとき、千利休がいたく感動し、これは素晴らしい、と賞賛した。すると、諸大名がこぞってルソンつぼを手に入れようとし、破格の高値で取引されるようになった。

ところがそのルソンつぼ、生産国のフィリピンでは便器として使われるものであったという。

日本の美意識を確立した偉人のひとりとして知られる千利休だが、彼の生きた時代には「侘び寂び」という言葉はまだありませんでした。同世代の覇者、豊臣秀吉が金ピカのきらびやかな装飾を好んだのに対して、利休は非常に渋いデザインを好み、茶の湯が確立されるに至って、その渋いデザインが日本では「カッコイイ」ものに位置づけられるようになっていきました。

利休は、「自分の考える美はこれだ!」という明確な「思枠」を提示し、その結果、江戸時代を通じて侘び寂びの文化は庶民に至るまで定着し、渋い美意識が日本では根づいていきました。

 

今回は『思考の枠を超える』の中から、固定観念に囚われずにとっさのアイデアを引き出す方法を紹介しました。本書では、ここには書ききれなかった「思枠」との向き合い方や臨機応変に現場を乗りきるための実践法を多数紹介しています。

融通が利かない、柔軟な発想が苦手、会議でいいアイデアが出せない……と悩んでいる人は、解決の糸口が見つかるかもしれません。


篠原信(しのはら まこと)

1971年生まれ、大阪府出身。農学博士(京都大学)。農業研究者。中学校時代に偏差値52からスタートし、四苦八苦の末、三度目の正直で京都大学に合格。大学入学と同時に塾を主宰。不登校児、学習障害児、非行少年などを積極的に引き受け、およそ100人の子どもたちに向き合う。本職は研究者で、水耕栽培(養液栽培)では不可能とされていた有機質肥料の使用を可能にする栽培技術や、土壌を人工的に創出する技術を開発。世界でも例を見ない技術であることから「2012年度農林水産研究成果10大トピックス」を受賞。著書に『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』(文響社)、『子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法』(朝日新聞出版)『ひらめかない人のためのイノベーションの技法』(実務教育出版)がある。