日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/03/16 09:38
先週紹介した佐藤一族の遠祖藤原秀郷は、教科書では平将門の乱を平定したと簡単に紹介される程度にすぎず、一般的な知名度はあまり高くない。しかし、筆者が子どもの頃は、近江の大百足退治の伝説が子ども向けの物語などにも紹介されるなど、「田原藤太」としてそれなりに知名度はあった。
近年の子ども向けの歴史の本は、伝説などではなく教科書をわかりやすくしたようなものが中心となっており、教科書に登場しない人物の知名度はどんどん低くなっている。いずれ、牛若丸や武蔵坊弁慶も知らない人の方が多くなるかもしれない。
さて、その藤原秀郷である。平安中期の人物だが、生没年すらはっきりしない。藤原氏とはいってもかなりの傍流で、朝廷で活躍する貴族ではなく下野国(栃木県)の地方官僚にすぎなかったからだ。
しかし、朝廷を揺るがせた平将門の乱を平定したことで下野守に昇進し、さらに武蔵守、鎮守府将軍も兼任した。
名字のルーツを研究する上では、藤原秀郷は極めて重要な人物である。というのも、秀郷の子孫はこのあと関東で武士として大きな発展をみせる。佐藤一族だけではなく、小山氏や結城氏など多くの関東武士達が秀郷の子孫から生まれ、それらは「藤原北家秀郷流」という大きなカテゴリーを生み出している。