日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/03/11 13:20
3月10日は「佐藤の日」だそうである。もちろん、「さとう」のごろ合わせだ。それに因んで栃木県佐野市が町おこしの一環として「佐藤の会」を発足、林家ペーさん、パー子さんを招いた発足イベントに参加してきた。本来はこの日に盛大に記者発表を行うはずだったが、残念ながら新型コロナ肺炎の影響で記者を呼ぶことはできず動画での配信となった。
ところで、なぜ「佐藤の会」を佐野市が設立するのだろうか。
佐藤のように下に藤がついて「~とう」「~どう」と読む名字は平安時代の貴族藤原氏の末裔であることが多い。藤原氏の分家の中級貴族たちは、藤原氏の一族であることを示しつつも、自らの家を表すものとして「~藤」という名字を名乗った。
その由来は大きく2つある。1つは斎宮頭となった藤原氏が名乗った「斎藤」のように職業と藤をつなげたもの。そしてもう1つは加賀の藤原氏が名乗った「加藤」のように、地名と藤原をつなげたものだ。
佐藤一族は平安時代中期に左衛門尉となった藤原公清が「佐藤」と名乗ったのが祖。しかし、左衛門尉なら「左藤」となるはずだ。それをあえて「佐」の字を使用して「佐藤」としたのには何か理由があるはずだ。その理由として、「佐渡守」に因むという職業由来説と、「佐野」に因む地名由来説の2つがある。
佐野市では佐野に因む地名由来説を採用して、「佐藤さんゆかりの地」として町おこしをはかるものだ。実際、佐藤一族には公清とは別の信夫佐藤氏という流れがある。
佐藤公清の一族と信夫佐藤氏の共通の祖は藤原秀郷で、その秀郷は佐野にいて唐沢山城を築いたとされる。だとすると佐藤一族全体の「佐」の由来を、藤原秀郷の佐野に求めるのは理にかなっているといえる。