日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2020/03/03 13:21
2日、栃木県佐野市でローカルテレビ局のロケがあり、前日に前乗りして佐野市の隣、足利市を歩いてみた。
足利市は、その名前からも分かるように足利氏のルーツの地である。足利氏というと大河ドラマにも登場している足利将軍家をイメージするが、実は足利氏に2つの流れがあった。
最初に「足利」を名乗ったのは、藤原秀郷の子孫の藤(とう)姓足利氏。一族は足利周辺に広がったが、源平合戦で平氏方についたことから没落した。ただし、直系は滅んだものの分家の子孫は数多く残っている。その中で嫡流とされたのが、佐野を本拠とした佐野氏で、戦国時代には戦国大名となり、江戸時代は旗本であった。また、佐野氏の分家からは江戸中期の老中住田沼意次が出ている。
没落した藤姓足利氏に代わって、この地を領したのが清和源氏の源義家の孫にあたる義康で、足利氏を名乗って鎌倉時代には幕府の有力氏族ととなった。そして執権北条氏を倒すと、京都に幕府を開き将軍家となった。今川氏、吉良氏、細川氏なども源姓足利氏の分家である。
この足利義康の屋敷があったのが、国宝となっている鑁阿(ばんな)寺。境内の周りには土塁と堀があり、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。