残すところあと数か月となった2010年代。この10年間、スマホの爆発的普及によるライフスタイルの変化から東日本大震災(2011/3/11発生)、シリアをはじめとする各種内戦にISILの台頭と衰退など、国内外で実に様々な出来事がありました。
そうしたトピックのひとつに「反グローバリゼーション」があります。国境を越えた企業活動や、それに追随して発生する移民の増加が、富の偏在や社会保障の後退・労働環境の悪化を招いているとし、10年代後半からこうした動きが大きく取沙汰されるようになりました。最近でいうと18年末からフランスで発生しており、最低賃金の引き上げやマクロン大統領の辞任などを求めている「イエローベスト運動」が有名です。
先進国内で発生するこうした動きには複雑な背景がありますが、ここではその一つとして「先進国内における富の偏在」に関する解説を見てみましょう。
※本記事は『本当にわかる世界経済』(井上恵理菜 著)から、一部編集のうえ抜粋したものです。
先進国での二極化(1) 賃金の伸び悩み
先進国と途上国とのあいだでは、先進国への富の集中が問題となっていますが、近年、注目されているのは、先進国内での富の偏在です。先進国では、技術革新やグローバル化の影響で製造業を中心に雇用が縮小し、新たなスキルの獲得ができなかった人々が、より安価な賃金での就業を余儀なくされています。
このため、中間層が縮小し、一部の富裕層のみがより富んでいく現象が起きています。たとえば米国では、所得階層を5分割したときの上位20%の実質平均所得は1980年以降上昇している一方、所得階層の低い人々の実質所得はほぼ横ばいで推移しています。
産業構造が製造業中心からサービス業中心に変化するなかで、より賃金の低い業種での就業数が増加し、全体の賃金水準が低下してしまっているため、先進国では中間層が縮小しています。一方、中国などの新興国では、急速な経済成長によって多くの人々が所得の増加の恩恵を受けており、世界全体でみれば、中間層は拡大しているといえます。
こうした変化の背景にあるのは「企業のグローバル化」です。1980年代以降、各国間の関税が低下したり、国際的な金融取引への規制が緩和されたりするなど、モノやカネのグローバル化のための環境が整うなかで、企業は製造や販売などの活動において国外拠点を選択しやすくなりました。これにより、企業の活動が世界的に広がっていくことを、企業のグローバル化とよびます。
グローバル経済の下では立地選択の自由度が高いため、企業にとって単純な労働のみを必要とする製造工程は、より賃金の低いところに移すことが得策です。グローバル化によって、立地選択を考える際に、賃金以外の要因が小さくなったのです。
その結果、米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンが『フラット化する世界』で著したように、労働者は、世界中で均等化された労働市場に身を置くことになりました。国による賃金の差が縮小するため、労働者が同じ能力をもっていれば、賃金は国にかかわらず同じ水準に収斂していきます。グローバル化は、国家間の差異として最後に残された要素である賃金をも平準化する力をもっていることになります。
つまり、先進国内でみれば所得は二極化していますが、世界的にみれば所得のフラット化が起きています。こうした状況を視覚的に端的に表わしたのが、経済学者のブランコ・ミラノヴィッチが作成した「エレファントグラフ」(下図)です。
横軸に世界中の人々を所得階層別に並べ、縦軸に各所得階層の人々の所得増加率をとると、右端を鼻、左端を尻尾とし、長い鼻を上に向けた象を横から見た姿に似ていることから、こうよばれています。
このグラフからわかるのは、1988年から2008年にかけて、象の鼻の先にあたる最も所得階層の高い先進国の富裕層と、象の体の部分にあたる中程度からやや低い所得階層に属する新興国の新中間層で所得が大きく増加した一方、鼻のたれ下がった部分に位置する先進国の中間層の所得はほとんど増加しなかったということです。
もっとも、先進国での賃金の伸び悩みは、グローバル化だけがその要因ではありません。IT化の急速な進行が、新しいビジネスを作り出すことのできる人々とそれに追い付けない人々とのあいだの差を拡大させています。
既存の職業からあぶれた人々が、ITなどのスキルを身に付けていない場合、より単純な労働に就くほかに道はありません。こうして安価な労働力が増加したことにより、全体として賃金上昇率が下押しされています。
先進国での二極化(2) 資産価格の上昇
賃金に比べ、株や不動産などの資産価格はより速いペースで上昇する傾向にあります。特に、2008年の金融危機後の大規模な金融緩和の結果、市場でカネ余りが発生し、こうした余剰マネーが資産に向けられ、資産価格は急速なペースで上昇しました。
資産をもつのはおおむね富裕層に限られています。米国についてみると、所得の低い下位20%の人々のうち3割程度が住宅を保有し、1割程度が株式を保有しているのに対し、上位20%の人々では8割以上が住宅や株式を保有しています。
このため、資産を多く保有し資産価格上昇の恩恵を受けた富裕層と、その恩恵を受けられず賃金の伸び悩みに苦しんでいる中低所得層のあいだで二極化が進んでいます。極端な二極化に陥ってしまうと国内消費が活性化しないため、経済成長の阻害要因となります。このため、二極化は、経済学的にみても避けることが望ましいとされます。
もっとも、フランスの経済学者トマ・ピケティが『21世紀の資本』において、「資本収益率が所得の増加率を上回るとき、資本主義は自動的に格差を生み出す」と述べたように、資本主義自体に二極化を生み出す要因があるのかもしれません。戦争や恐慌など大規模な経済的危機が生じることがなければ、資本主義経済において二極化が自然と是正されることはないのが実情です。そこで、各国では福祉政策を通じて、所得の再分配を行なっています。
人々の不満が反移民・反グローバリズムに向かう
先進国における富の偏在は、様々な弊害を生んでいます。その一つが、反移民・反グローバリズムの世論の高まりです。米国では、反移民・反グローバリズムを掲げるトランプ候補が2016年の大統領選挙で勝利したほか、欧州各国でも、移民やEU経済統合に懐疑的な政党が台頭しています。
国内において二極化が進行するとき、相対的に生活の苦しい人々は、不満の矛先を他者に向けやすく、反移民・反グローバリズムを支持します。実際に、英国の国民投票でEU離脱に投票した人々は、地域別にみると、一人当たり所得の低い地域で特に多い傾向にありました。
実際には、消費者はグローバル化によってより安価でより品質の高い財を手に入れられるなどの利益を得ていますし、先進国では労働需給がひっ迫するなかで移民が重要な労働力となっています。しかしながら、人々がこのようなメカニズムを理解したり、移民を抑制し、グローバル化をやめたときの生活への影響を想像したりすることはむずかしいといえます。
政治家や学者などの専門家が、それらをわかりやすく広く人々に伝えることができていないという批判もあります。一方、人々の情報源が、新聞やテレビなど幅広い情報を提供するマスメディアから、インターネット上のブログやコミュニティサイトなど特定の分野の情報に焦点を当てる個別メディアへと変化しています。このため、興味がなければそもそも情報が入らないなど、専門家から人々への情報提供に際しての障壁が高まっていることも事実です。