人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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西郷家の子孫

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2018/12/17 11:40

(photo by jaimax/fotolia)

16日の放送でNHK大河ドラマ「西郷どん」が最終回を迎えた。西南戦争で負傷、片足を切断して従道に投降した隆盛と愛加那の子・菊次郎は、以前にこの連載で京都市長をつとめたこととなどを紹介したが、他にもあまり知られていない子孫がいる。

菊次郎の六男・準は、地元鹿児島二中(現在の甲南高校)に進学すると、野球部に入ってエースで4番を打った。昭和9年夏の選手権大会(夏の甲子園)南九州大会予選では鹿子島二中は準決勝に進出。熊本工業と対戦して惜敗し、惜しくも甲子園出場を逃している。鹿児島二中に勝った熊本工業は甲子園でも準優勝しており、惜敗した鹿児島二中もその実力は高かったはずだ。

ちなみに、熊本工業で2年生ながらライトの守備についていたのが、のちの打撃の神様、川上哲治である。西郷準は進学した立教大学でも野球をつづけ、東京六大学リーグで投打に活躍している。

隆盛の長男・寅太郎は、明治17年に吉井友実や勝海舟らの働きかけでドイツのポツダム陸軍士官学校に留学。以後13年間ドイツで学び、帰国後は陸軍少尉に任官。35年には父の功績が認められて侯爵が授けられた。

そして、寅太郎の三男の吉之助は貴族院議員を経て、戦後参議院議員となり、第二次佐藤内閣では法務大臣に就任した。当時は隆盛の孫として話題になっている。

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