今、当たり前だと思っていることでも、過去には当たり前のことではなかったり、その逆に未来になったら当たり前でなくなったりすることはよくある話です。それは永遠のシステムと思われている「お金」にも当てはまります。
例えば「貨幣」というシステムは人類が生んだ発明ですが、ビットコインをはじめとした仮想通貨の登場が少しずつ貨幣の存在を脅かしています。
そんな「常識」を覆す話を、「お金」を切り口にしながら世界史の流れと転換点を解説する『世界〈経済〉全史』(宮崎正勝著)から紹介しましょう。
世界通貨といえば真っ先に思い浮かぶのは「ドル」。でも、150年前は…?
現在世界で流通している通貨のうち、基軸となるものはというとやはり「ドル」が思い浮かびますよね。「ユーロ」や「円」もありますが、為替相場の中心にいるのはドルです。
しかし、ドルが現在のような地位を確立したのは20世紀に入ってからのことです。では、それ以前はどの通貨が世界の覇権を握っていたのでしょうか。
それは、イギリスが発行している「ポンド」(正式名称はスターリング・ポンド)です。
19世紀はまさにイギリスの世紀でした。産業革命によって急速に進んだ工業化による圧倒的な軍事力・経済力の成長を背景として「海洋帝国」を築き上げます。
最盛期には「太陽の沈まない国」と呼ばれていたように、世界の4分の1ともいえる広大な土地を支配していたイギリスは、インド(1877年に直轄領化)、カナダ、オーストラリア、アフリカ最南端の喜望峰を擁する南アフリカなど、大国や要所をおさえていました。また、中国(当時は清)とのアヘン戦争でも勝利し、イギリスに有利な不平等条約を結んでいます。
こうして、世界の要所を海路によってつないだ「大英帝国の領土」間では、自由貿易が活発に行われます。その中でも有名なのが、東インド会社の「アジアの三角貿易」。実は、このビジネスが今では当たり前となっている「紙幣」をスタンダードにするきっかけを生んでいるのです。
19世紀後半、お金のスタンダードは貨幣から紙幣へ変わった。
アジアの三角貿易はイギリス、インド、中国の3ヶ所を拠点に行われた貿易です。この貿易では、イギリスからインドに綿織物を、インドから中国にアヘンを、そして中国からイギリスには紅茶や陶磁器を輸出します。
現在、イギリスで国民的飲料として広まっている紅茶が広まったのは18世紀後半のこと。そのときイギリスは、茶葉の輸入元である中国に対して莫大な貿易赤字を背負っていました。これにより、当時の国際通貨ともいえる銀がイギリス、ひいてはヨーロッパから国外へ大量に流出してしまいます。
そこで銀不足を解消するために、イギリスは画期的な金融システムを構築することになりました。それが「国際金本位制」の導入と「紙幣の発行」です。
それまでの4000年間は、銀貨が世界の通貨として流通していました。国際金本位制は、その「銀本位」から「金本位」へ、そして貨幣から紙幣へのパラダイムシフトを起こすものだったのです。この後、ドイツが金本位制に踏み切ったこともあって、世界的に金本位制へ移り変わる動きが相次ぎました。当然、アメリカや日本もその流れに追従しています。
こうして、つい最近まで続いていた「紙幣と金本位制度に裏付けられた経済基盤」が、イギリスによって19世紀末に完成しました。これは同時にイギリスの通貨であるポンドの覇権を意味していたのです。
アメリカのドル紙幣は銀行券ではないという事実
ポンドが世界経済の覇権を握っていた19世紀、大西洋を隔てたアメリカでは、経済体制が混乱の極みにありました。19世紀前半、通貨発行の権限を持っていた合衆国銀行が廃止され、各州の銀行の認可と取り締まりの権限にゆだねられるようになったのです。このとき、紙幣の発行も州が認可した銀行によって行われ、さまざまな紙幣が統一されることなく出回ります。