日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2017/05/22 15:17
18日のNHK「日本人のおなまえっ!」では、名字ではなく「太郎」を取り上げた。この中で、三郎四郎のように「~郎」のつながった名字が登場したため、徳川家康の話を出したのだが、ちょっとわかりづらかったかもしれないので、詳細を書いてみたい。
徳川家康の名字はもともとは「松平」で、三河国松平郷の国衆だった。そして、松平泰親の二男信光は分家して岩津城に住み、岩津松平家となった。この家は次男のため、岩津松平家は「次郎家」といわれ、信光は本家を差し置いて松平一族の惣領となった。
信光の子は各地にさらに分家し、三男の親忠は安祥(現在の安城)に分家して安祥松平家となった。親忠は次郎家の三男のため次郎三郎家と言われたのだ。その後、岩津松平家の親長が戦死したため、次郎三郎である親忠が松平一族の惣領となった。
家康はこの親忠の末裔なので、代々次郎三郎と称し、さらに家康は長男なので次郎三郎家の「太郎」なのだ。家康が将軍となったため、家康の系統が本家と勘違いされることが多いが、松平一族全体からみると、実は分家の分家という位置にある。
なお、「太郎家」である嫡流(泰親の長男の子孫)の子孫は、江戸時代も松平郷の領主として代々松平太郎左衛門と名乗っている。