日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2016/11/21 10:00
北条氏を味方につけた源頼朝は、治承4年(1180)平氏打倒の兵をあげた。まず最初に標的となったのが、伊豆国目代の山木兼隆である。目代とは、国司に代わって現地を支配する代理人のこと。当時、韮山地域では最も権力のあった人物だ。
山木兼隆は平氏の一族。ただし、北条氏とは違って清盛と同じ伊勢平氏の流れで、清盛の妻の弟のである平時忠の代理人として中伊豆にやってきた。そして、山木に住んで山木氏を称し、おそらく清盛の権威のもと代々の土豪である北条氏よりも大きな力を振るっていたのだろう。北条時政が頼朝に味方したのは、源氏再興のためだけではなく、伊勢平氏を打倒することが目標だったはずだ。
山木兼隆の住んでいた山木地区は、蛭ヶ小島から小高い山を1つ超えた場所にある。ただし、兼隆の屋敷は平地ではなく近くの山の上にあった。山木地区から東南にあるくと、道の傍らに「この先の高台一帯が平兼隆館の跡です」という小さな看板がある。平兼隆というのが山木兼隆のことだ。
この道をのぼっていくと、一軒の家で行き止まりになる。韮山郷土博物館の人によると、この家のあたりが山木氏の館の跡だということだった。